第二十八話 雑多がイイ。
日本の高度成長期(1955~73)から50年以上も経っている昨今。
バンバン建てられたビルなどの老朽化もそろそろ見過ごせないところに、昨年のオリンピック。キッカケ待ちのインフラ整備、あちこちで開発が行われているのも納得である。
と、またまた大層な話をしそうな雰囲気を出すものの、相も変わらずたわいもない話。
今週もお付き合いくだされ。
「しみじみ。」
新宿、渋谷、池袋、上野。銀座は特別枠に入れておこう。
東京で昔ながらの大きな街といったら大体こんなとこだろう。駅開発もすごいことになっていて、地下ですべてが繋がっていたり、渋滞を緩和させるための高架化が徹底されていたり、どでかい駅ビルにクラクラして迷子になってしまうほどだ。
便利になってはいるものの、正直、どこの駅に行っても似たような感じがしてしまう。街の特徴が薄れているような気がするのだ。なんだか寂しい気もするが、仕方のないことなのだろう。昔を知らなければこの物悲しさもないのだから、あらためて新しい中に自分を刻み込んでいこうと前向きに。
にしてもこうやって時代が流れていくのだなと、しみじみする感情は拭えない。
「きっかけはクリームパン。」
先日事務所のインターホンがなり、ドアを開けるとそこには大きな荷物を抱えた人が立っていた。
「クリームパンはいかがですか?」という思いもよらない言葉にアタマがバグる。アポもなかったし何かの営業だとは思っていたもののクリームパンの出現に、<生クリーム>と<コーヒー>の2つを購入。
ボクは圧倒的にこういう攻撃に弱い。
以前も銀座のど真ん中で話しかけられ、何かと思えばこだわりの<トマト>販売。その時一緒にいた人数分買ってしまう。ものすごく美味しかったから後悔はないのだが、この、人と人との繋がりみたいなものが突然やってくると”NO”という選択肢がなくなってしまう。
繋がりでいうと、どうしても外せないのがお祭りの『屋台』。あの雰囲気で選んで外で食べるのは、味はさておきなんともいえない幸福感。『市場』や『横丁』なんていうのも魅力的なマジックワード。そうそう、アジア諸国の『夜市』なんかも絶対足を運んでしまう。なんだろう。この居心地のいい”雑多”な感じ。
「温故知新。」
世の中がキッチリした方向に向かっているからこそ、人はこういった相対する”雑多”なものに惹かれるのではなかろうか。立ち飲み、のんべい横丁、朝市にフリーマーケット。このお祭り屋台も加えると、この、”雑多”で気ままでレトロ感があり、計らずともコミュニケーションが溢れる場所を、無意識のうちに求めてしまう。
古き良き昭和の時代を感じる喫茶店や町中華なんかも、この良さを若者たちも感じていてくれているからこそ。本当に良いものは残っていくだろうし、温故知新とはよくいったもので、消えていったものが見直され新たなカタチで生まれ変わる。床屋、コインランドリー、銭湯なんかは、復活しつつある代表選手。
飲みながら、誰かとこんな話をしたいものだ。
「まとめ。」
今回のお題は、『雑多』。
世界的にも過去のダメなことはどんどん改善されてきているし、新しい意識改革が浸透してきている現代。ゴミを捨てたら罰金なんて国もあるように、完全管理国家なんていうのもそんな遠い話ではないかもしれない。
”いいかげん”が許されない時代になってきたけど、”良い加減”ぐらいは残してほしいと願っている。
日本人の感性の特徴でもある<左右非対称の美>とか言うとなんだか正当化しているようで違和感あるけど、この完璧じゃないアシンメトリーにしか見出せないものこそ、奥深い本当の魅力が隠されているのではないかと思う。
多少、ダメでも良いじゃない。
肩の力を抜いて、『雑多』な感じも捨てたもんじゃないっすよ!